「虹色のあした(20)」 異性愛ルールの中と外

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photo credit: Kiss In (31) – 14Feb10, Paris (France) via photopin (license)

 
7月25日、九州大にて「多様性共存の可能性—ジェンダー・セクシュアリティー・クィアの観点から」と題したセミナーがあり、芸術学、自然人類学、教育学など多様な分野の研究者による報告が行われました。
固定的な性役割の上に人類進化史が構築されてきた歴史や、世界の見え方を変える仕掛けとしてのアートの可能性など、興味深い報告ばかり。特に印象深かったのが、教育に関する報告でした。
性同一性障害の子どもに対し、文部科学省は2010年に教育相談の徹底を通知しています。今春には、該当児童生徒の相談に関する対応の状況調査を実施しました。
そうした動きを踏まえ報告は、「性同一性障害」が支援の対象となりやすいのはなぜか?」という切り口で分析。「治療の対象であり、異性愛規範は無傷である」と指摘すると同時に、同性愛や両性愛は「異性愛規範が危うくなる」として、支援されにくい状況であることに触れていました。
性別変更した男性が、父親と認定された裁判のことを思い出しました。第三者の精子提供を受けて妻が出産した子を、夫婦の子と認めた昨年12月の最高裁判決です。夫婦は異性愛規範の中にいます。
一方、性別変更を望まない人、性別を決めたくない人、同性カップルはどうでしょう。異性愛ルールをはずれる人々へ配慮や法整備は、遅々として進まない状況です。
(西日本新聞 2014年8月2日掲載/小嵒ローマ)