2/25(日)、福岡市内にて「シンポジウム クィア / アクティビズム」開催です。
参加費無料(事前申込制)。
詳細は添付のフライヤーをご確認ください。
【日時】
2018年2月25日(日)14:00-17:00
【会場】
ココロンセンター(福岡市人権啓発センター)研修室
〒810-0073 福岡市中央区舞鶴2丁目5番1号 あいれふ8階
【報告】
菅野優香(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科)
「クィア・シネマの政治と美学」
概要:
政治と美学は相反するふたつのカテゴリーだと思われているが、両者を結びつけるのが1990年代以降に登場したニュー・クィア・シネマであろう。そして、政治と美学をつなぐクィア・シネマの背景にあるのがHIV/AIDSであることはいうまでもない。本発表では、具体的な映画作品を取り上げながら、HIV/AIDSを背景に、政治と美学の境界を侵犯する文化的実践としての映画に焦点を当てる。
森あい(同性婚人権救済弁護団)
「クイアと言っていた私が、婚姻の自由・平等を求めるに至った経緯」
概要:
私的なことで恐縮ではあるが、90年代半ばから「活動」に関わりクイアという言葉にひかれていた私が、同性婚人権救済弁護団員(http://douseikon.net/)となり、婚姻の自由・平等を求めるに至った経緯を話し、制度を変えるという政治的な事柄とクイアであることを考えるための時間を持ちたい。
牧園祐也(Haco/認定NPO法人魅惑的倶楽部〔エキゾチッククラブ〕福岡支部)
「エイズ・アクティビズムは何を残すのか?」
概要:
日本のエイズ・アクティビズムは、主に男性同性愛者を中心としながらも、性的マイノリティの存在と課題を世に可視化させてきた。しかし、エイズが死の病ではなくなり、予防の概念が医療化する中で、エイズ・アクティビズムはすでに過去のものとなりつつある。エイズ・アクティビズムの功績と失敗を振り返り、これから先の日本のクィア・アクティビズムに何を残すのか、残せるのか?を考えたい。
【参加】
参加費無料。事前申込制。
主催:筑紫女学園大学2017年度指定研究「筑紫女学園大学におけるマイノリティの包摂と支援のあり方について」
協力:NPO法人 Rainbow Soup
《開催趣旨》
もともとは蔑称でありながら、やがてセクシュアル・マイノリティ自身がプライドをもって自称するようになった「クィア(queer)」という言葉には、ジェンダーやセクシュアリティにかかわる既存の制度や規範を問い直す意味合いがこめられている。クィアをめぐる思考や実践、そこに含まれる先鋭的な問題意識や多様な運動のあり方を振り返りながら、セクシュアル・マイノリティと社会との関係について考えたい。
2018年2月25日(日)14:00-17:00
【会場】
ココロンセンター(福岡市人権啓発センター)研修室
〒810-0073 福岡市中央区舞鶴2丁目5番1号 あいれふ8階
【報告】
菅野優香(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科)
「クィア・シネマの政治と美学」
概要:
政治と美学は相反するふたつのカテゴリーだと思われているが、両者を結びつけるのが1990年代以降に登場したニュー・クィア・シネマであろう。そして、政治と美学をつなぐクィア・シネマの背景にあるのがHIV/AIDSであることはいうまでもない。本発表では、具体的な映画作品を取り上げながら、HIV/AIDSを背景に、政治と美学の境界を侵犯する文化的実践としての映画に焦点を当てる。
森あい(同性婚人権救済弁護団)
「クイアと言っていた私が、婚姻の自由・平等を求めるに至った経緯」
概要:
私的なことで恐縮ではあるが、90年代半ばから「活動」に関わりクイアという言葉にひかれていた私が、同性婚人権救済弁護団員(http://douseikon.net/)となり、婚姻の自由・平等を求めるに至った経緯を話し、制度を変えるという政治的な事柄とクイアであることを考えるための時間を持ちたい。
牧園祐也(Haco/認定NPO法人魅惑的倶楽部〔エキゾチッククラブ〕福岡支部)
「エイズ・アクティビズムは何を残すのか?」
概要:
日本のエイズ・アクティビズムは、主に男性同性愛者を中心としながらも、性的マイノリティの存在と課題を世に可視化させてきた。しかし、エイズが死の病ではなくなり、予防の概念が医療化する中で、エイズ・アクティビズムはすでに過去のものとなりつつある。エイズ・アクティビズムの功績と失敗を振り返り、これから先の日本のクィア・アクティビズムに何を残すのか、残せるのか?を考えたい。
【参加】
参加費無料。事前申込制。
主催:筑紫女学園大学2017年度指定研究「筑紫女学園大学におけるマイノリティの包摂と支援のあり方について」
協力:NPO法人 Rainbow Soup
《開催趣旨》
もともとは蔑称でありながら、やがてセクシュアル・マイノリティ自身がプライドをもって自称するようになった「クィア(queer)」という言葉には、ジェンダーやセクシュアリティにかかわる既存の制度や規範を問い直す意味合いがこめられている。クィアをめぐる思考や実践、そこに含まれる先鋭的な問題意識や多様な運動のあり方を振り返りながら、セクシュアル・マイノリティと社会との関係について考えたい。